京阪初代3000系

先日、元京阪3000系の富山地鉄のダブルデッカーエキスプレスについて取り上げました。京阪から初代3000系が完全に引退したのが2013年、早いもので、もう10年が経つのですね。
今回は、初代3000系の活躍について振り返ってみたいと思います。




京阪初代3000系の概要を簡単にまとめておきます。
京阪初代3000系は1971年に登場。
先代特急車の1900系と同じ転換クロスシート装備で、日本初の空気圧による座席の自動転換装置を装備していました。
1900系と同様、編成内にテレビが設けられましたが、3000系では当時ではまだ珍しかったカラーテレビが設置されました。
特急の全列車を3000系で運転すべく増備が進められ、最終的には3連×14本・4連×4本の58両が製造されました。
3連や4連というと、現代の京阪電車では交野線や宇治線の支線用の車両が思い浮かぶかと思いますが、当時の京阪は7両が最大両数で、当時の特急は、深夜時間帯などの閑散時間帯は3両や4両で、それ以外の時間帯は3連の編成と4連の編成を組み合わせて6両または7両で運転されていたそうです。
1988年の8000系導入後は、早くも廃車が始まり、1995年には7連1編成(3505編成)と予備車2両を残すのみになりました。
残った3505編成は継続して使用されることになり、更新工事及び組み換えを行い、7連の固定編成となり、この時に予備車を改造したダブルデッカー車が組み込まれました。その後、8000系が8連化されるのにあわせ8連化が行われています。
2008年には、現在、快速特急”洛楽”や特急などで活躍している”コンフォートサルーン”3000系が登場するのにあわせ、先代3000系は8000系に編入され、編入後は、8000系30番台(8531編成)と呼ばれるようになりました。”コンフォートサルーン”3000系の形式名が3000系になったのは、初代3000系の引退が近いことが既に決まっており、”3000系”の名を京阪から消したくなかったからだそうです。
2012年7月には、8531編成の運行を2013年の春で運行を終了する旨発表されました。2012年9月には、先頭車のデザインをクラシックタイプとし、更新前のデザインに戻されました。
2013年3月10日に定期運行を終了、2013年3月31日の貸切列車での運行が最終運行となりました。
運行終了後は、ダブルデッカー(8831号)は富山地鉄に譲渡され、2013年8月25日より運行開始。京都方の先頭車(8531号)は樟葉モール内のSANZEN HIROBAで保存・展示されることになり、2014年3月12日の”NEW MODE OPEN”に併せ公開されました。
樟葉モール内のSANZEN HIROBAには、近々5000系や2600系のカットモデルも置かれることが決まっています。





ここからは写真をご覧ください。
さすがに、更新前の姿の写真はないので、更新後の姿の写真です。京阪初代3000系40周年記念ヘッドマークを付けて走る初代3000系8531編成(2011年7月、土居にて撮影)。

7200系の特急と並ぶ普通運用の8531編成(2011年4月、土居にて撮影)。
特急での運転時以外は、特急を示す鳩マークは、取り外して運転されました。

40周年記念ヘッドマークを付けた区間急行運用の8531編成(2011年7月、土居にて撮影)。
この頃は、土居でよく撮影しており、土居での写真が非常に多いです。

2012年の夏には、「旧3000系特急車最後の夏」ヘッドマークが装着されました。旧3000系最後の夏ヘッドマーク装着の8531編成。最後の夏ヘッドマークを装着した8531編成(2012年8月、樟葉~牧野間にて撮影)。

橋本~樟葉間を走る最後の夏ヘッドマークを装着した8531編成(2012年8月撮影)。
田園風景が広がっていて、比較的のどかな雰囲気だった橋本~樟葉間ですが、土地区画整理や宅地化・ショッピングセンターの建設が行われ、風景は様変わりしました。

車内も見てみましょう。8000系と同等の内装に更新されていました(2012年8月撮影)。

5号車のテレビカー(2013年2月撮影)。
右奥はカード専用電話コーナーだったそうですが、この時、電話は既に撤去されていました。

5号車には大きく”テレビカー”と書かれ、テレビが設置されていることを示していました(2012年8月撮影)。




2012年9月にクラシックタイプになり、2012年10月のファミリーレールフェアで展示されました。ファミリーレールフェアで展示された8531(3505)編成と2605編成2600系2605編成と並べて展示される8531編成(2012年10月14日、寝屋川車両基地にて撮影)。
クラシックタイプになった際に、8000系に編入される前の車番に戻されました。とは言っても、形式が変わったわけではないので、向かって左下に、小さく正式の車番が書かれていました。

クラシックタイプの復活後は、ヘッドマークの復活や臨時快速特急”洛楽”にも使用されました。”ミシガン”のヘッドマークを付けて運行される特急 淀屋橋行き(2012年11月、橋本~樟葉間にて)。
ミシガンは大津港の船なので、”ミシガン”を付けるのなら”上り列車限定なのでは・・・?” という疑問は置いておいて、レトロなヘッドマークとクラシックなスタイルがよく似合っていました。
道路が立体化されたので、今はこの場所で撮ることはできません。

ミシガンヘッドマークを付けた8531編成と”コンフォートサルーン”3005編成の並び(2012年11月、土居にて)。

京阪3000系臨時快速特急洛楽で運転される8531編成(2012年12月、土居にて)。
当時、洛楽は行楽シーズンのみの運転であり、秋の行楽シーズンでの運転の締めくくりとして8531編成で運転されました。

ここからは、定期運行終了後の話を。
2013年3月10日に定期運行を終えたあとは、ダブルデッカーを編成から抜き、7連で臨時運行されました。
2013年3月24日(日)に最後に乗りに行きました。
臨時快速特急で中之島から出町柳まで運転ということで、中之島駅へ。
中之島駅で発車を待つところ。

5号車(ダブルデッカーがないので4号車?)のテレビカーの文字が、オレンジ色になっていました。

このまま中之島から出町柳まで・・・ といいたいところですが、架線支障のため天満橋を出たところで1時間ほど止められ、車内は停電・空調は停止し、気分が悪くなり、やむなく京橋で下車しました。

大混乱の京橋駅でコンフォートサルーン3000系と。

反対ホームから。
ちなみに、この臨時快速特急ですが、意地を見せ(?)、終点の出町柳まで運行されたそうです。

最後になりましたが、上述の通り、現在は、樟葉モールで京都方の先頭車が保存されています。
車内に入ることも可能で、非常に美しい状態で保存されていますので、ご覧になられたことがない方は、是非足を運ばれることをお勧めします。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

おわり。


投稿者 めいはん

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