今回は、1966年に開業してから、わずか8年ほどしか運行されなかった姫路モノレールの廃線跡について取り上げます。
正式に廃線となってから、40年以上が経ちましたが、廃線跡にはまだ橋脚が残っています。また、姫路モノレールの終点だった手柄山駅は、手柄山交流ステーションとして整備されています。
なお、記事作成にあたり、wikipedia及び手柄山交流ステーションで配布されていたリーフレットを参考にさせていただきました。
姫路モノレールは、上述の通り、1966年に開業。
現在の手柄山公園がメイン会場であった姫路大博覧会への姫路駅からのアクセス線としての役割をも担っての開業でした。
姫路~手柄山間の1.6㎞ほどの短い路線で、姫路市により運行されており、途中に大将軍(だいしょうぐん)駅という駅が設けられていました。
博覧会後は利用者数が低迷し、開業からわずか8年ほどの1974年に営業休止、1979年に廃止となりました。
廃線後、少しずつですが軌道の撤去が行われており、廃線後も残っていた大将軍駅も2016年に解体されてしまいましたが、廃線から45年近くが経った現在でも一部の軌道は残っており、モノレールが走っていた往時を偲ぶことができます。
また、検修車庫も併設していた手柄山駅は、廃線後、すべての車両を収納後、放置状態となっていましたが、2009年より改修工事が行われました。
姫路モノレールには、片運転台の100形が2両、両運転台の200形が2両の合計4両が在籍しており、100形2両は解体されてしまいましたが、200形2両は手柄山駅構内で保存されることになり、2011年に、水族館やホールを併設した手柄山交流ステーションとして開館・公開されています。
それでは、姫路駅から姫路モノレールの廃線跡沿いを手柄山駅(手柄山交流ステーション)まで歩いてみましょう。
姫路モノレールの姫路駅跡は、すでに存在しておらず、往時を偲ぶものは何も残っておりません。元々仮設駅のような感じだったそうで、廃線からほどなくして撤去されたそうです。手柄山交流ステーションの展示から判断すると、姫路駅はこのあたりだったよう。
奥にモノレールの橋脚が見えます(ご覧いただければわかると思いますが、姫路駅部分の写真2枚は別日の撮影です)。
手柄山に向け進んでいきます。レンタカー屋の上部に橋脚があります。
この位置、右を向けば山陽姫路駅に停車する電車がよく見えます。
阪神8000系の直通特急が停車していました。
ビルの上に生えるように橋脚が突き出ています。
橋梁がほんの一部残っているところも。
なんだかオブジェのようになっています。
橋脚の点検が行われるようです。
いよいよ、完全撤去に向けての調査でしょうかね・・・?
つづく橋脚。
モノレールの高架の下に建物が建っている光景は、駅以外では珍しい気がします。
建物から突き出た橋脚に混ざって、橋脚が自立(?)しているところがありました。
以前は、建物があって、建物だけが解体されてしまったのでしょうかね・・・?
建物から突き出た橋脚を過ぎると、途中駅の大将軍駅跡に出ます。
こちらは、4階建ての建物の中に駅がありましたが、2016年に解体されてしまいました。大将軍駅の跡。
舗装されていますが、フェンスで囲まれており、かつて駅があったことがわかります。
駅跡は、再開発される予定でしたが、地中の基礎の引き抜きが難工事になるということで、再開発は中止されたそうです。
なお、大将軍駅構内で使用されていたレールは、記念レールとしてカットされて販売されています。
|
大将軍駅跡から手柄山駅のほうをみると、大きなマンションが建っています。マンションの先にモノレールの橋梁がつづいています。
セブンイレブンの裏側にモノレールの橋脚が。
別の角度から見てみましょう。
川沿いにつづく橋梁。
姫路モノレールの廃線跡で、一番当時のまま残っていて、なおかつ見学しやすい場所です。
山陽新幹線と交差する部分。
奥はJR山陽本線ですが、近年、高架化されたこともあり、JRと交差する部分の橋梁や橋脚は撤去されています。
更に進んでいきましょう。JRの線路をくぐると、再びモノレールの橋梁が現れます。
もう少し進むと、橋脚だけが残っているところがあり、この場所から手柄山駅までの橋脚や橋梁は、撤去されています。
さらに進むと手柄山交流ステーション(手柄山駅)が見えてきました。
写真の中央の建物が、手柄山交流ステーションです。
現在は出入り口になっている白い円形の部分から、モノレールが発車していました。
おわり。