2001年9月30日(最終運行日)の谷汲駅に停車するモ750形

今回は、先回予告した通り谷汲線の廃線間際の様子を振り返ります。

谷汲線は、揖斐線の黒野と谷汲の間を結んでいた路線でした。名鉄と言うと、温暖で平坦なところを走るイメージを持たれる方が多いかと思いますが、谷汲線はそんな名鉄のイメージを覆すような、冬場には大雪になることも多い、山間も走る路線でした。冬場、谷汲を訪れたことがありましたが、前日は名古屋も雪が降るような天候で、どのようなものかと思いましたが、非常に雪深く、こんなに積もるんだと驚いた記憶があります。冬場の谷汲線についてはこちらよりご覧ください。

谷汲線の黒野~谷汲間には、黒野北口、豊木(とよき)、稲富、更地(さらぢ)、北野畑、赤石、長瀬の途中の駅があり、北野畑では列車の交換が可能でした。通常時は、終日概ね1時間に1本の運転で、北野畑駅の交換設備は使用されていなかったのですが、谷汲山の命日にあたる毎月18日と行楽期には増発運転が行われ、30分毎の運転となり、交換設備が使用されていました。

車両は、揖斐線の黒野~本揖斐間と同様、古豪のモ750形が主に使用されていました。
多客期にはモ510形が2両編成で使用されることもあったようです。



ここからは写真を紹介しましょう。
撮影日は、先回の揖斐線と同じく、2001年9月30日です。
当時の写真を見返してみると、まず谷汲へ行ってから、谷汲~北野畑間の駅で撮影して、その後はいったん黒野へ行って揖斐線の黒野~本揖斐間を往復・撮影して、その後再度谷汲線を乗車したようで、変則的な順になっていました。

どのように載せようか、非常に迷ったのですが、2回に分け、今回は、谷汲~北野畑間で撮った写真を紹介します。

まずは谷汲駅から。
最終運行日(2001年9月30日)の谷汲駅駅周辺には、普段ではありえないほど非常に多くの人がいました。
谷汲駅の駅舎は、昆虫館も併設されており、現在も営業されています。

2001年9月30日(最終運行日)の谷汲駅に停車するモ750形谷汲駅に停車するモ750形751号。
系統板が”さよなら谷汲線”仕様になっていました。
写真の左側には、多くの撮影者が写っており、廃線になってしまうという雰囲気は伝わると思います。

天候は悪かったですが、谷汲から赤石まで電車に乗り、赤石から北野畑の間は歩いたようです。北野畑~赤石間にて。根尾川沿いを走る谷汲線。北野畑~赤石間にて。
写真のように根尾川沿いを走る光景を見ることができました。
川沿いを走る光景が見られたのは、谷汲線だけだったので、廃止とともに名鉄電車が川沿いを走る光景は見られなくなりました。

北野畑~赤石間にて。根尾川沿いを走る谷汲線。同じく、北野畑~赤石間にて。
上の写真よりも、もう少し北野畑寄りだと思われます。
早朝の列車は1両でしたが、昼前ごろから2両に増結しての運転が行われていました。

根尾川沿いで撮影したのは、この時が最初で最後で、もっと撮っておけばよかったとの念が溢れてきます。

川沿いでの撮影後は、北野畑駅で撮影したようです。谷汲線最終運行日(2001年9月30日)の谷汲駅北野畑駅駅舎。
この場所、現在はどうなっているのでしょうかね?
谷汲線の代替で2001年10月から走るようになったバスも2005年に廃止されてしまったので、現地調査が極めて難しくなっています。

北野畑駅で撮影したのは、名称列車を撮るためでした。北野畑駅に入線する谷汲号北野畑駅へ入線する谷汲号。
もう少し引き付けて撮れと自分に怒りたくなりますが、20年前のことをあーだこーだ言っても仕方ありません。

谷汲号は、八百津線のところで触れた蘇水湖号と同様、廃線直前に復刻運行された名称列車で、豊橋または豊川稲荷~新岐阜間が7000系もしくは5500系、新岐阜駅前~谷汲間がモ510形と蘇水湖号と同様のリレー形式で、廃止前の土休日と9月18日に運行されました(こちらも手元に資料がなく、詳細な運行日は不明)。

本線で走行した7000系や5500系の谷汲号が撮影できなかったのが、今思い出しても残念に思います。

つづく。

投稿者 めいはん

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