地平時代の太田川駅東口

先回、昨年(2021年)12月19日に開催された太田川駅高架化10周年記念イベントについて取り上げました。
今回は、太田川駅の地平時代の様子を振り返ってみます。

高架化前の太田川駅は、2面4線で、周辺はとても雑然とした雰囲気でした。
検車区が併設されていた時代もあったそうなのですが、流石にその時代の記憶はありません(犬山検査場の完成により、廃止されたそうです)。
言葉で述べるよりも写真を見た方が良いと思うので、写真をご覧ください。





まずは、駅舎から。
東口と西口があり、改札内の跨線橋でホームと駅舎が結ばれていました。地平時代の太田川駅東口東口の駅舎(2008年4月撮影)。
東口の駅舎の屋根は、近くの寺院”弥勒寺”の宝塔を模して造られたそうです。
1924年の駅舎改築で建設され、1986年に再度改築された際もこの屋根は残されたのですが、残念ながら2008年11月の仮駅舎使用開始後、解体されてしまいました。
また、東口には、旅行センターも併設されていたのですが(券売機の左側・パンフのラックの後ろ側のシャッターのところ)、2006年に閉鎖されています。

地平時代の太田川駅西口西口の駅舎(2005年10月撮影)。
西口には、バスターミナルや店舗が設けられていました。
東口は、比較的静かな雰囲気でしたが、西口にはバスや送迎の車が多数乗り入れ、ザワザワと比較的賑やかな雰囲気だった記憶があります。

ホームの様子を見てみます。地平時代の太田川駅に停車する3703F下り2番線で発車を待つ3700系3703編成の中部国際空港行き急行(2005年10月撮影)。

地平時代の太田川駅に停車する7000系7017F上り4番線で発車を待つ7000系7017編成の金山行き普通(2005年10月撮影)。
駅の海側に、普段使用されていない留置線が何本かありましたが、検車区があった頃の名残だったのでしょうか?
奥に写る行灯式の発車案内装置も懐かしいですね。

下りホームから、知多半田方面を臨んだところ(2008年4月撮影)。
軌陸車が止まっているところには、マルタイが止まっていたこともありました。
近代的な今とは違い、非常にのどかな雰囲気でした。





ここからは、駅周辺の様子をご覧ください。太田川駅周辺(地上時代)東口の前から駅前にあった踏切を見たところ(2005年10月撮影)。
踏切を渡ってすぐ、左側が西口でした。
三重銀行の右側には、ユニー太田川店があったのですが、高架化工事のため、2002年に閉店となりました。
余談ですが、おもちゃうりばで鉄道模型を取り扱っていたのと、階段からは行き交う列車を眺めることができ、ユニー太田川店は鉄道ファンには非常に嬉しいショッピングセンターでした。

地平時代の太田川駅周辺東口の前から山側(上の写真の反対側)を見たところ。
高架化前は、かなり雑然としていました。
高架化工事の際に、土地区画整理も行われたので、現在では当時の面影を感じることは難しいと思います。
現在、当時から変わらず建っているのは、写真右側の病院(小嶋病院)ぐらいでしょうか?

西口向かいのユニー閉店後の2003年、ユニーの跡地にどんでん広場という仮設の店舗街が設けられました。

 

ユニー跡地のどんでん広場は2012年に閉鎖され、跡地にはラスパ太田川店が建設されました。
現在、どんでん広場という名称は駅東側に建設された公園に使用されています。

最後に、仮駅だった頃について少しだけ触れたいと思います。
2008年11月23日から2011年12月16日まで仮駅での営業が行われました。仮駅時代に太田川に入線する1701F

仮駅時代に太田川駅に停車する1701F仮駅で営業中の太田川駅に入線し、停車する1701編成(2009年7月撮影)。
仮駅時代の写真はほとんど撮っていなかったようで、出てきた写真は非常に少なく、駅舎の写真は見つかりませんでした。
1700系も昨年廃車されてしまい、非常に懐かしく感じます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

おわり。



投稿者 めいはん

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