長間駅に到着する6000系

ここ最近多忙だったため、少々間隔が空いてしまいました。

今回も先回のつづきとして、2001年9月30日の運行で廃止になった四線の廃線間際の様子について振り返ってみます。

今回は、竹鼻線の江吉良~大須間について紹介します。
江吉良~大須間には、牧野・長間・中区・市之枝・八神の5つの途中の駅がありました。

竹鼻線は、現在では笠松~江吉良間のことを差し、江吉良~新羽島間の羽島線と一体的に運行されていますが、元々は笠松~大須間の路線でした。
廃線当時の名鉄時刻表が奇跡的に家にあったので、竹鼻線・羽島線のページを開いてみました。笠松駅を起点にすると、当時は新羽島行きと大須行きがそれぞれ30分毎に運行されており、昼間時間帯は、上り列車は大須発が新岐阜行き・新羽島発が笠松行き、下り列車は新岐阜発の列車が新羽島行き・笠松発の列車が大須行きと、名鉄ではよく見かけるやや変則的な感じで運行されていたようです。
2001年に廃止された他の三線が昼間時間帯は1時間毎の運行なのに対し(八百津線は30分毎の時間帯も多かったですが)、竹鼻線の江吉良~大須間は30分毎の運行で、なおかつ新岐阜への直通列車が
多く走っている路線であり、廃止されると聞き、非常に驚いた記憶があります。

ちなみに、大須駅の大須とは、現在、名古屋市にある大須観音(真福寺)のルーツとも言える地名で、大須観音(真福寺)は、鎌倉時代の建立で元々は大須駅の近くにあったものの、荒廃してしまい、徳川家康が現在の大須観音の場所(名古屋市)に移転させたそうです。現在、大須駅跡近くには、再建された真福寺があるそうです。




前置きはこれぐらいにして、写真を紹介していきます。高校生の時に撮影したもので、出来が良くないのは先回と同様ですが、行ったり来たりを繰り返しながら様々な駅を巡ったようで、順番も滅茶苦茶で撮影地を特定するのに苦労しました(汗)。Yahoo!地図などを見て、何とか撮影地を特定しましたが、ひょっとしたら間違っているかもしれません。間違いに気づかれた方が見えましたら、この記事のコメント欄か、Twitterでハッシュタグ”#meihan7203”を付けて教えて頂ければ幸いです。

写真は羽島市役所前から大須へ下っていくように載せていきます。
撮影日はすべて2001年9月29日です。江吉良~大須間廃線間際の羽島市役所前駅廃線を知らせる看板が掲げられた羽島市役所前駅。廃止になったのは江吉良~大須間でしたが、江吉良~大須間すべての駅が無人駅で、なおかつ朝夕には羽島市役所前折り返しの列車も走っていたからでしょう、羽島市役所前駅に看板が掲げられていました。

牧野駅に停車する6000系牧野駅に停車する6000系の新岐阜行き普通。
牧野駅の交換設備は、撤去されてかなりの時間が経っていたものの使用されていないホームが写真の右側に見えるように残っていました。木製の古い架線柱にホームも大して整備されているようには見えず、廃線間際だということが何となく伝わってくるかと思います。
なお、牧野~大須間の駅はすべての駅でホームが2両分しかなく、4両の電車が入線すると後ろ2両は締切となっていました。

長間駅に到着する6000系長間駅に入線する6000系の大須行き。
3扉車を示す乗降扉上部のグレーの塗装も懐かしいですね。
確か撮影した2001年からグレー塗装の赤色化が始まり、2004年頃までに扉のグレー塗装が無くなった記憶があります。

長間~中区間で東海道新幹線と名神高速道路を潜っていました。
2010年代前半に高速バスに乗車した時、高速道路の案内板に下を名鉄竹鼻線が走っている旨の記載が残っていましたが、まだ残っているんでしょうかね?東海道新幹線をくぐる3700系東海道新幹線の下を潜ろうとしている3700系。
6000系列だけでなく、当時最新だった3700系や3100系、特急の間合い運用で1800系も入線していました。

長間~中区間の踏切にあった看板長間~中区間の踏切にあった看板。
竹鼻線に白帯パノラマカーが入線したことはあったのでしょうか?

中区駅駅名板中区駅駅名板。
羽島市内を走っているのですが、もちろん政令指定都市ではないので、〇区というのは存在せず、区が存在しないのに中区という駅名は面白いと少し話題になっていた記憶があります。
現在は、中区駅跡周辺は道路になったようで、往時を偲ぶことはできないようです。

中区駅近くにあった売店(乗車券委託販売所)中区駅も無人駅でしたが、近くの売店が乗車券の委託販売所となっており、地紋入りの硬券乗車券を購入することができました。
同じような委託販売所は、常滑線の蒲池駅や尾西線の玉ノ井駅等様々なところで見られましたが、駅集中管理システムとトランパスの導入で次第に数を減らしていき、2008年には全廃されたようです。

中区から少し進むと木曽川の堤防沿いを走っていました。
川を渡るところはいたるところにありますが、高い堤防沿いに走る路線というのは珍しかったように思えます。木曽川堤防沿いを走る6000系(市之枝~八神間にて)木曽川の堤防沿いを走る6000系。
特別整備未施工の編成で、特別整備の施工年を考えると6004Fだと思われます。

つづいて大須駅の様子を紹介します。大須駅駅名板とは言っても、なぜか駅舎の写真が見つからず・・・
駅名板の写真だけでご勘弁ください。
現在、駅跡は更地になってしまったそうですが、後ろの”乗って残そう”の文字が書かれているトイレは現存するそうです。

最後に、大須駅での折り返し時の話を。大須駅折り返し時の様子前述のとおり、牧野~大須間の駅はすべての駅が2両分のホームしかなく、4両の電車は後部2両は締切扱いとなっていましたが、扉スイッチの切り替えを行わなければならない大須駅だけは締め切るわけにいきません。
どうしていたのかというと、写真のように全扉を開扉しており、写真のようにホームがない箇所の扉も開いていました。気づかない人が降りてしまうと大怪我をしてしまうので、大須駅到着前に、後部2両の扉も開くがホームがないので気を付けるようアナウンスが入っていました。たまに1800系等2+2の列車も入線しており、後部2両に乗っていると降車できないのではないかと思った記憶があるのですが、前から3両目の一番前の扉だけはかろうじてホームにかかっていたようで、降車できないという事態にはならなかったようです。
現在だったら、絶対にこんなやり方、認められないでしょうね。

おわり。



投稿者 めいはん

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