蘇水湖号

今年は岐阜四線(八百津線・竹鼻線江吉良~大須間・揖斐線黒野~本揖斐間・谷汲線)が廃止されてから20年という節目の年に当たります。廃線間際の2001年9月29日と30日にお名残乗車に訪れていました。

節目の年を記念し(?)、路線ごとにお名残乗車の時の写真を紹介していきたいと思います。
なお、
当時は高校生、写真の出来は今以上によろしくないことをご了承の上ご覧頂ければ幸いです。

今回は八百津線について紹介します。
八百津線は、明智~八百津間を結んでいた路線で、元々は電化されていた路線でしたが、1984年よりLEカーでの運転が始まり、電化設備は撤去されました。廃線時は電化設備が撤去されてかなり経っていましたが、架線柱等が残っているところも多々ありました。

写真の撮影日は、2001年9月29日です。
兼山駅に停車するキハ30形兼山駅に停車する列車。

兼山駅兼山駅駅舎。

八百津駅駅舎八百津駅駅舎。

八百津駅・兼山駅共に駅舎は廃線後ほどなく解体されてしまいました。八百津駅は写真に見えるように、ロータリーがあったり、タクシーが乗り入れたりするほどの立派な駅でしたが、現在では駅跡は住宅地となり、駅があったころの面影はほとんど残っていません。

八百津線の代替交通として、YAOバスというバスが運行されていますが、八百津駅跡に一番近いバス停は、”八百津本町”や”八百津ファミリーセンター”ではなく、”塩口”なので、注意が必要です。

塩口バス停の近くに、八百津駅跡の記念碑があり、2006年10月に訪れていたので、写真を紹介します。八百津駅跡過去の記録を遡ってみましたが、廃線跡には、2006年以来訪れていないよう。
最近の様子を撮影された方等見えましたら、Twitter上等で教えて頂ければ幸いです。

少々、話が逸れましたが、最後に、廃線直前に復刻運行された名称列車について紹介します。

廃線直前には、かつて7000系で運転されていた名称列車”蘇水湖号”が運転されました。手元に資料がないので、細かい運行日等は不明ですが、他のサイト等を見る限りでは、2001年8月と9月の土休日に運行されていたようです。
八百津線が非電化になり、7000系で直通運転と言うわけにはいかないので、常滑~新可児間が7000系・7500系6連、新可児~明智間が3400系(いもむし)2連、明智~八百津間がキハ30形とリレー形式で運転されました。

明智駅で撮影した写真をご覧ください。
こちらも撮影日は2001年9月29日です。蘇水湖号キハ30形蘇水湖号。

3500系と並ぶ3400系の蘇水湖号。
3400系の定期運用も2001年9月30日で終了してしまったので、貴重な記録になりました。

おわり。

投稿者 めいはん

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