日常の忙しさから、気にも留めずにいるところでしたが、20年前の2005年は、中部国際空港が開業したり、愛知万博が開催されたりと、中京地区が世界から注目された年でした。
名鉄でも、5500系や8800系が引退したり、空港線が開業したり、岐阜の600V線区が廃線になったりと大きく変わった年だったのが思い出されます。

今回は、そんな2005年に運用を終了した、5500系の活躍を振り返ってみたいと思います。

5500系は、1959年に登場。日本初の特別料金不要な冷房車(大衆冷房車)として有名な車両です。
4両×5編成(5501・5503・5505・5507・5509F)と2両×5編成(5511・5513・5515・5517・5519F)が製造され、様々な路線で、特急から普通まで幅広く活躍しました。
2000年の東海豪雨で被災した5505Fから廃車が始まり、2002年には、4両の編成は消滅しました。
2003年には、最後に残った2両×3編成(5513F・5515F・5517F)に、”甦る5500系”と銘打ち、これまでまとってきた塗装の復刻が施されました(5513F:ストロークリームに赤帯、5515F:スカーレットに白帯、5517F:チョコレートツートン)。
最後に残った3編成も、空港線開業前日の2005年1月28日の運行で運用を離脱し、その後廃車・解体されました。5517Fの豊橋方先頭車5517号の前面部のみ舞木定期検査場で保存されています。




ここからは、写真をご覧ください。
まずは、スカーレット一色の時代から。これまで、復刻塗装での写真は何度か取り上げたことがありましたが、スカーレット一色の頃の写真を取り上げるのは初めてかと思います。地平時代の太田川で発車を待つ5500系(1998年3月撮影)。

地平時代の常滑にて5700系と並ぶ5500系(1997年の夏撮影)。

太田川駅、常滑駅ともに高架化され、駅の雰囲気も大きく変わってしまいましたね。現在の駅舎からは当時の面影は感じられません。

栄生を通過する5500系の豊橋行き急行(1998年8月撮影)。
栄生駅は、2005年1月29日のダイヤ改正で正式に急行停車駅になる前も、昼間時間帯は特別停車という形でほとんどの急行が停車していたのですが、豊橋発着の急行だけは通過していました。現在は、豊橋発着の急行も停車していますね。

二ツ杁に止まる5509F(1997年の夏撮影)。
5509F の豊橋方の先頭車5509号は、1964年の新川工場の火災で被災し、代替新造され、高運転台になりました。
現在走っていたら、撮影しまくっていたんでしょうが、当時は、前面の窓が小さく、前が見えづらかったので、あまり好きではなかった記憶があります。

富岡前に止まる5515F(2003年8月撮影)。
以前も述べたことがあったかと思いますが、当時、SR2(5300系・5500系の2両)は広見線での運用が非常に多く、何も調べずにふらっと出かけても、よく5500系に出会いました。
この時すでに5513Fがストロークリーム、5517Fがチョコレートツートンの塗装に復元されており、5515Fはスカーレット一色の唯一の5500系になっていました。

5700系を併結し、堂々の6両で走る5515F(2003年6月、富岡前にて撮影)。
この運用は、線内折返しで本来は2両なのですが、なぜか5700系と組んだ6両で走行していました。
この頃、線内折返しがなぜかP6(7000系または7500系の6両)で運転されることもありました。当然の如く、線内折返しで6両だとガラガラで、なぜ6両で来るのか非常に疑問に思った記憶があります。

つづいて、リバイバル塗装の5500系を少しだけ紹介します。5517Fがチョコレートツートン色になって2003年7月19日から、5513Fがストロークリームに赤帯の塗装になって2003年8月16日から、5515Fがスカーレットに赤帯の塗装になり2003年9月27日から運行されました。チョコレートツートン色になった5517Fについてはこちらで、ストロークリームに赤帯の塗装になった5513Fについてはこちらで詳しく取り上げていますので、ぜひご覧ください。矢作橋に止まる団体臨時列車「三河路2号」での5517F(2003年9月撮影)。

広見線運用に就く5513F(2003年9月撮影)。

2004年6月16日727列車。5515F+5701F。名物列車だった727列車の先頭に立つ5515F(2004年6月、神宮前にて撮影)。
727列車について詳しく知りたい方は、こちらをご覧ください。




つづいて、同じく名物列車だった1542列車で見られた5500系の3重連について取り上げます。
1542列車は、2003年3月27日のダイヤ改正から2005年1月29日改正前まで平日に見られた弥富発碧南行きの列車で、急行となる須ケ口~知立間は、SR2(5300系・5500系・7700系・7100系の2連)の3重連で運転されました。時々、5500系の3重連となることもあり、私は3回撮影することができたので、写真を紹介いたします。撮影はいずれも神宮前です。1542列車(2003年9月12日)2003年9月12日撮影。
5515Fがリバイバル塗装になる前です。
5500系がリバイバル塗装で揃う前は、1542列車が5500系の3重連になることは少なく、9月12日を入れて2回しかありません(もう一日は、2003年8月28日)。

2004年10月1日撮影。

2005年1月26日撮影。

いずれの日も駅や沿線は、多くの人で賑わっていたのが思い出されます。
これ以外にも、2003年秋の休日に5500系3重連の豊川急行が定期列車の運用変更で走るというイベントがあったのですが、こちらは残念ながら乗車や撮影に出向くことができませんでした。

最後に、運用離脱してからの写真を紹介します。
2005年1月ダイヤ改正前日の2005年1月28日で運用を離脱し、布袋でしばらく留置されたあと、舞木定期検査場へ回送され、最終的には間内で解体されました。2005年2月にたまたま大雪が降り、雪の中、布袋で留置される姿が見られました。

間内で解体を待つ5500系(2005年2月撮影)。
ところどころ、部品が外されているのがわかります。
解体される1年ちょっと前にリバイバル塗装に塗り直されたばかりだったので、解体されるときも塗装は綺麗なままでした。

今後は、同じく引退や廃線から20年となる8800系や旧600V線区についても取り上げる予定ですので、楽しみにお待ちください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

おわり。


投稿者 めいはん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA