味鋺~上飯田間 地上線の今 2 ~上飯田連絡線開業20周年~のつづきです。
矢田川の橋梁も庄内川同様撤去されていました。
並行している道路橋で矢田川を渡ります。
矢田川を渡り切ったところ。
言われないと、鉄道橋があったとはわかりませんね。
矢田川の先は、高架となっていましたが、もちろん撤去されています。この先に高架橋が伸びていました。
さらに上飯田駅の方へ進んでみましょう。上の写真の防音壁の裏側(上飯田方)。
この土手辺りから、上飯田駅への高架橋が伸びていました。
”名古屋鉄道”の看板が掲げられているのが、鉄道敷地だったことの証。
看板のサビ具合から、現役当時から使用されていたものかもしれません。
土手の先は、駐車場になっていました。
駐車場をすぎるといよいよ上飯田駅です。
地上時代の上飯田駅は、名鉄上飯田駅の2階にありました。正面の建物が名鉄上飯田ビル。
駅があったところは埋められていますが、色や造りが他の場所と異なっており、駅があった場所がはっきりとわかります(真っ白なところです)。
ビルの正面に回ってみます。名鉄上飯田ビルは上部が住宅で、2階部分はスーパーが入っています。
改札があった場所の現在の様子を見てみましょう。改札への階段はそのまま残っていました。
リトルワールドやビーチランドの看板が掲げられているのが、いかにも名鉄のビルらしいですね。
改札口があった場所。
簡易的に塞がれただけのように見えますね。
テナントのスーパーは、名鉄パレ(現パレマルシェ)からMikawayaに変わっています。
名鉄上飯田ビル前にある現在の上飯田駅の出入口。
上飯田連絡線の開業初日に乗りに来て、ここに出た記憶がありますが、もう20年も経つんだと改めて感じました。
次回は、上飯田連絡線開業とともに引退した2代目3300系について取り上げる予定です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
おわり。