今回から3回に渡り、野村(現在の加古川線の西脇市)~鍛冶屋間を結んでいて、1990年3月末の運行で廃線となった鍛冶屋線の保存車両と廃線跡について取り上げます。
途中の旧市原駅と終点の鍛冶屋駅は駅舎が残されていて、活躍していたキハ30形が保存されており、廃線跡の一部は遊歩道になって活用されています。
鍛冶屋線の歴史や廃止に至るまでの経緯については、こちら(Wikipedia)よりご確認ください。
今回は旧鍛冶屋駅と旧鍛冶屋駅に保存されるキハ30形キハ30 69について紹介いたします。
鍛冶屋線の終点であった鍛冶屋駅は、単式ホーム1面1線と側線があったそうなのですが、現在は、駅舎とホーム、ホームに面した線路1線が残されています。旧鍛冶屋駅駅舎。
鍛冶屋線記念館となっています。
駅舎内には資料が置かれていました。
訪れた時は施錠されており、中に入れなかったので、通路からの撮影です。
ホームへ行ってみましょう。ホームには鍛冶屋駅と隣の中村町駅の駅名板がありました。
劣化の具合から、実際に使用されていたものと思われます。
ホームに面してキハ30形キハ30 69が留め置かれています。
キハ30 69は鍛冶屋線廃線とともに引退した車両で、廃線当時のいわゆる加古川色のまま保存されています。
塗装が剥がれてしまっているところがありますが、状態は概ね良好です。
鍛冶屋方(?)の乗務員用扉から車内に入れたので、車内を見てみます。
車内。
座席は劣化してしまっているようで、上からカバーがかけられていました。
カバーには、鍛冶屋駅がある多可町内の企業の名前が入っていますが、企業から提供されたものなのでしょうかね・・・?
客室内の扇風機。
言うまでもなく、キハ30形は国鉄時代の車両ですが、鍛冶屋線が廃線になったのは、JR化後だからでしょうか、JR西日本のマークが入っています。
扉。
扉は外吊り式なので、戸袋部分がないのが特徴です。
運転台付近も見てみます。野村(西脇市)方。
マスコンはないものの計器類は残っています。
野村方は、施錠されていて、乗務員室には入れず、窓越しでの撮影です。
鍛冶屋方。
こちらは、マスコン・運転台の計器類がともに撤去されています。
鍛冶屋方は、乗務員室には入れるものの運転台部分は施錠されており、こちらも窓越しの撮影です。
ここからは、駅の外(公道)から撮影した写真をご覧ください。
もちろん、安全に配慮して撮影しました。
鍛冶屋駅は道路の中央にあるので、特に写真の奥(鍛冶屋のもっと先)のほうから車などで来ると、唐突に車両と駅が現れる感じがしそうです。
キハ30 69をアップで。
真正面から。
横がちに見てみましょう。野村方から。
鍛冶屋方から。
道路の中央に鍛冶屋駅があるので、横から撮るとどうしても道路標識や照明が写りこんでしまいます。
台車。
最後になりましたが、これからも末永く、キハ30 69が保存されることを願ってやみません。
鍛冶屋線の保存車両と廃線跡 2 ~遊歩道になった廃線跡~へつづく