先回の山線(猿投~西中金間)につづき、今回は海線の末端区間(吉良吉田~碧南間)の廃線間際の様子を紹介いたします。




吉良吉田駅から碧南駅まで順に写真をご覧ください。吉良吉田駅で並ぶキハ30形と1600系(2004年2月撮影)。
現在は、蒲郡線の電車が発着している2番線が碧南行きの列車の専用ホームでした。
1番線では、1600系が停泊しており、早朝訪れるとこのような光景を見ることができました。

松木島駅(2004年2月撮影)。

松木島駅近くの踏切(2004年2月撮影)。
三河線末端区間には、警報器が電子音ではなく電鐘式の踏切が多く残っていました。
三河線末端区間の廃止により、名鉄から警報器が電鐘式の踏切は消滅しています。

三河一色駅三河一色駅駅舎(2004年2月撮影)。
三河一色駅は、旧一色町の中心地で、駅自体は無人駅だったものの旅行会社の営業所を併設する立派な駅舎でした。
廃線後もしばらくは駅舎が残っていましたが、2008年に解体されています。

三河一色駅を発車するキハ30形(2004年2月撮影)。
三河一色駅周辺は、写真の右側に”直売”と写っているようにうなぎの名産地として非常に有名ですが、うなぎだけでなく、「三河一色駅周辺のおでんが美味しい」と、廃線間際にネット掲示板で話題になっていたのが思い出されます。私もどこかのお店でおでんを頂いた記憶があります。





三河一色駅の次は、西一色駅で、西一色の次が寺津駅でした。寺津駅の駅名板(2004年2月撮影)。

寺津駅や次の三河楠駅周辺に多く掲げられていた看板(2004年2月撮影)。
線路内など鉄道敷地での耕作は、本来だと言語道断ですが、この辺りでは黙認されていました。
土地を名鉄が所有して列車が走っている間は、大目に見るけど、土地の利用方法や所有権が変わる(と思われる)2004年4月1日以降は認めないということでしょう。

寺津~三河楠間は、高架化工事が行われ、名鉄の非電化区間唯一の高架線となっていました。
建設中だった県道への踏切設置を避けるために高架化されたものですが、高架線は1998年11月から2004年3月末までの5年半ほどしか使用されず、無駄遣いだ・もったいないと批判の声が多く挙がりました。
高架線上を行く列車の車窓から(2004年3月撮影)。
この下の道(県道)と立体交差するために、高架化されました。

高架橋を降りるキハ30形(2004年2月撮影)。
この区間だけロングレールにPC枕木で、廃線間近とは思えないほど、立派で綺麗なところを走っていました。
現在もこの高架橋は撤去されず残っており、三河線代替のふれんどバスの車内からも高架橋を見ることができます。

三河楠駅に入線するキハ30形(2004年2月撮影)。
碧南行きの列車に乗ると、高架橋を降りてすぐが三河楠駅でした。

三河楠駅の次が交換可能な三河平坂(みかわへいさか)駅でした。三河平坂駅での交換風景(2004年3月撮影)。
交換が行われるのは朝だけでしたが、廃線間際には列車の増発が行われ、昼間でも交換風景を見ることができました。
碧南~吉良吉田間は、票券閉塞となっており、無人の三河平坂駅に係員が配置されて、タブレットの交換が行われていました。

三河平坂の次が中畑駅です。中畑駅に止まるキハ30形(2004年2月撮影)。
非常に静かな駅だった記憶があります。




中畑駅と三河旭駅の間には、矢作川を越える長大な橋梁がありました。2004年2月撮影。
電化されていた時代の架線柱が残っており、風情がありました。
この橋梁の架け替えへの費用が、廃止の決め手になってしまったと言われています。

矢作川橋梁上を行く列車の車窓から(2004年3月撮影)。
当時、名古屋本線の木曽川橋梁に次ぐ長さの橋梁だったそうで、渡りごたえ(?)がありました。

矢作川橋梁を渡って、碧南市内の途中の駅(三河旭駅・棚尾駅・玉津浦駅)の写真はまったくありませんでした。
三河旭~碧南間は、大きく迂回する大カーブになっており、乗り遅れても碧南まで走れば間に合うなんて逸話があった記憶があります。

ここからは、碧南駅での写真をご覧ください。 碧南駅で発車を待つキハ30形(2004年2月撮影)。

碧南駅の駅名板(2004年2月撮影)。
現在は、終端駅になってしまいましたが、もちろん、この時は途中駅でした。

廃線直前には”ご愛顧ありがとうございました”の看板が掲げられていました(2004年3月撮影)。

キハ20形かつて走った名称列車「大提灯号」の系統板を掲げて留置されるキハ20形(2004年3月撮影)。
廃線直前に運転された臨時列車が、「大提灯号」として運行されました。
キハ20形は、外観はキハ10形に準じていますが、一軸台車ではなく空気ばね式のボギー台車で、車体もやや長くなり、1987~1990年に5両が製造されました。

現在は、全車両がミャンマー国鉄に譲渡されています。

掲示されていた臨時列車の時刻と三河線の歴史のポスター(2004年3月撮影)。
三河線の歴史については、リーフレットとしても配布されていました。

最後になりましたが、海線の廃線区間のうち、碧南市内(三河旭~碧南)は、碧南レールパークとなり、遊歩道として整備されています。碧南レールパーク玉津浦駅跡(2021年9月撮影)。
ホームも整備されていて、線路跡を歩くと、キハ20形やキハ30形になったような気分になるかもしれません(笑)。

キハ30形をモデルにした遊具も設置されています(2021年9月撮影)。

ミャンマーからキハ20形やキハ30形が戻ってきて、線路跡に保存されたら嬉しいのですが、かなり難しいでしょうね。

碧南レールパークについては、別の機会に改めて詳しく紹介できればと思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

おわり。


投稿者 めいはん

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